公演情報
■ティーファクトリー『レディ・オルガの人生』
川村毅新作・演出
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【公演日】
2018/9/29(土)〜10/8(月祝)
【会場】
吉祥寺シアター(東京都)

【作・演出】川村毅
【出演】渡辺真起子、笠木誠/岡田あがさ、砂原健佑(劇団番町ボーイズ☆)、中村龍介/白川大(さいたまネクスト・シアター)、浜田えり子、原田理央(柿喰う客)、間瀬英正/高木珠里(劇団宝船)、伊東潤(東京乾電池)、のぐち和美(青蛾館/カクシンハン)/蘭妖子

7月30日(月)前売開始!
http://www.tfactory.jp/
CD/DVD/BOOK情報
¥2,200(税別)
◆「川村毅戯曲集2014-2016」
論創社
(2016/5)
¥2,200 (税別)

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4◆『神なき国の騎士』
論創社
(2014/3)
単行本:¥1,575 (税込)

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4◆『4』
論創社
(2012/10)
単行本:¥1,575 (税込)

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aa300_book.jpg◆『リハーサル』小学館文庫 6/7刊行 (2011/06/07)
文庫:¥690(税込)

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『春独丸』『俊寛さん』『愛の鼓動』◆「『春独丸』『俊寛さん』『愛の鼓動』」論創社 (2010/10)
単行本:¥1,575 (税込)

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新宿八犬伝[完本] ◆『新宿八犬伝[完本]』未来社 (2010/09/22)
単行本:¥6,090 (税込)

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歩きながら考えた ◆『歩きながら考えた。』五柳書院 (2007/07)
単行本:¥2,625 (税込)

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AOI KOMACHI ◆AOI KOMACHI (2003/11)
単行本:¥ 1,575 (税込)

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ハムレットクローン◆ハムレットクローン(2000/01)
単行本:¥ 2,100 (税込)


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フリークス―残酷のファッショ
ン・ショー1幕◆フリークス―残酷のファッション・ショー1幕(1987/02)
単行本:¥ 1,470 (税込)

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ジェノサイド,ニッポン・ウォーズ
―川村毅第一戯曲集◆ジェノサイド,ニッポン・ウォーズ―川 村毅第一戯曲集(1984/11)
単行本:¥ 1,890 (税込)

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新宿八犬伝―川村毅第二戯曲
集◆新宿八犬伝―川村毅第二戯曲集 (1985/11)
単行本:¥ 2,625 (税込)

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ラスト・フランケンシュタイン―
川村毅第三戯曲集◆ラスト・フランケンシュタイン―川村毅第三戯曲集(1986/12)
単行本:¥ 2,100 (税込)
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お分かりのこととは思うが、『黒い報告書』の撮影である。
今回の監督は、いつもの深作健太氏と初の望月六郎監督。
望月監督って人もケッサクな方で、このシリーズ、当たり前のことながら、
監督によって作品のタッチが違うので出来が楽しみだ。
望月さんのは、これまた随分今までのと違うテイストだと思うよ。
働いております。大泉の東映撮影所で、昨日は朝から晩まで、ドラマ二話分、私の場面撮り終えました。
まるでフルマラソン、最後のカットを撮り終えた時は、共に走り抜いた者どうしとばかりに、石黒賢さん、監督の深作さんとかたく握手。飲もうと監督に誘われたのだが、私ここで飲むとまた突っ走りそうなので、ということは、その後数日使い物にならない日々になりそうなので、辞退。
深作君、近いうちにメシでも食べよう。
『ピュラデス』の上演台本にかかっている。『カルデロン』は上がった。
昨日は三月五日、夜パゾリーニの誕生日だと気がつき、興奮してウイスキーを飲み過ぎた。別に興奮することもないのだが。

WBC、今年はまず優勝無理だろうと冷めていたところが、始まるとはまって応援している。

クエンティン・タランティーノの新作『ジャンゴ』は期待を裏切らない面白さだ。
冒頭ジャンゴのテーマ曲が流れ、そのジャンゴが黒人とわかるところで、つかみはオーケー。
ジャンゴと旅をする賞金稼ぎの歯医者のドイツ人が、なぜ人種差別を憎むのか、この男のその理由が描かれず、語られていないところが、いい。そんなことが見事に不要に思えるのが、タランティーノ映画の醍醐味だ。まあ、ここいらあたりが、アカデミー賞の委員がいまいち不満に思うところなのだろうが。
マカロニ・ウエスタンへのオマージュのみならず、リチャード・フライシャーのすさまじい怪作『マンディンゴ』への敬意もあって実に気持ちいい。
レオナルド・ディカプリオの悪役ぶりがまたいい。こういう役をやると、時折ジャック・ニコルソンに似た表情になる。手から血を流しつつ怒るシーンは本当に割れたグラスで切ったのを止めずに撮ったというが、すばらしい場面だ。
いつ銃をぬくか、じりじりと登場人物たちが神経戦を繰り広げるのは、もうタランティーノの十八番、名人技の語り口だ。
しかし、時折、やけにゆるいショットがある。わざとなのだろうか。
イタリア映画が昔よくやっていた、人物への速いズームアップは、もう今の映画ではほとんど見られなくなった撮り方で、うれしくなって思わず、わっと声を上げてしまった。
ついに逝ってしまわれた。
さっそく若松孝二監督が呼んだのだろうか。
一本選べといわれたら『儀式』だろうか。
しかし、『絞死刑』もあり、『少年』もあり、『愛のコリーダ』もある。
『戦場のメリークリスマス』のラスト、たけしのアップにあの曲がかぶさるシーンは今でも涙が出る。
大島渚その人と大島映画への思いを書こうとすると、十代のころにさかのぼる。
ここでは書ききれない。どこかで書こう。
本当にひとつの時代が終焉していく実感がある。
「わかりにくい」映画の時代はもうやってこないのだろうか。
嗚呼。
合掌。
十代の折り、池袋文芸座地下で若松監督の二本立てを見た。『胎児が密漁する時』と『日本暴行暗殺史・異常者の血』である。欧米映画ばかり見ていた時期であり、こうした日本映画があることに驚いた。それから若松映画の上映会の情報があると追った。70年代で、微かに68、69年の気配が残っていた季節のように思える。上映会に行くと、佐藤重臣、松田正男、平岡正明といった面々が見られた。
若松映画はそれと知らずに見ても、すぐに若松映画だとわかる映画だ。どでかい丸太をごろりと無愛想に転がしたような映画、その丸太には観念と情念、妄想と現実社会が押し込まれている。そのようにして立っていた大木を若松監督が切り倒して地面に転がしたのだ。
私は文学座アトリエに書き下ろした『おとことオトコ』という戯曲で若松監督をモデルにした人物を登場させた。劇の主人公が足立正生氏をモデルにしていたからだ。若松監督の数々の著書を参考にしているので、その許可願いを送ったところ、大きな字で、「いかようにも」と書かれたフアックスが送られてきた。
足立氏と若松氏がアトリエの公演を見にいらした時、楽屋と私は緊張した。怒りだしたら、真しにその怒りに向き合おうと思った。
袖からおふたがたの様子を伺っていた役者が、「笑ってるよ」と報告してきて、安堵した。次に「泣いてる、泣いてる」と報告がきた。
見終えたおふたりに、挨拶した。監督は微笑みながら帰って行った。

『キャタピラー』は健全な若松映画であった。足立氏も脚本にかかわっていると推測する。足立氏の観念が若松氏の暴力性と鼓舞しあう時、健全な若松映画が生まれる。

新宿の蕎麦屋を出てからすぐに事故に遭ったと記事で読んだ。自分でもまさか、だろう。
死ぬ瞬間、あるいは浮遊した意識は生命を失った自分を見降ろし、「おれ、こういう終わり方か」とつぶやいた。などとということを想像する。
合掌。
若松監督、ありがとうございました。
稽古の合間、ジョセフ・ロージーの『パリの灯は遠く』を見た。
大変面白かった。『文体の獣』と無縁ではない。パリから列車に乗せらえるユダヤ人。
強制収容所への道程。『文体の獣』はファシズムと大量殺戮についての劇でもある。

ところで昨日は江古田のイスラエル料理店で舌鼓を打った。弱冠わたくし、お疲れ気味であった。
この映画をフィルムと記述したが、デジタル撮影なんだな。
一眼レフで撮ちゃうんだな。フィルムはもうほとんどなくなるという。
この事態は寂しいが、デジタルの技術は凄いですね。
実は『黒い報告書』も一眼レフで撮っていて、驚くべきことに、照明がまるでいらないんだな。
照明のセッティングの時間が短縮できるんで、えらい早撮りが可能なわけです。
もうびっくりした。
しかも出来上がった画面は、なかなかいいんだよね。
『果てなき路』の画面も、微妙なテイストが可能になっていて実にいい。
こんなことを書いているのは、『黒い報告書』の新しいプロットが届いたせいもあるんだけどね。
書き物作業が一段落したので、モンテ・ヘルマンの『果てなき路』を見に行った。
完璧である。映画を撮ることを巡る、その形而上学と俗的なもろもろ、すなわちフィルムの思考とでも名付けたいサスペンス。しかも映画内映画を描きつつ、きっちりフィルム・ノワールに仕立て上げるというジャンルへのこだわりが、また完璧な映画と呼びたい所以だ。
そう、映画撮影とは、複数人数による策略、詐欺、犯罪であり、これはすでにヴェンダースの『ことの次第』が描いている通り、キャメラは拳銃である。
やはり、映画は、拳銃、車、酒、裸だ。
そう考えると演劇というジャンルは映画に比べると倫理的だよな。
なにかしらテーマやらイデオロギーやらを主張せずにいられないからねえ。
いや、演劇がそうなのではなく、演劇人がそうなんだな。良くも悪くも朴念仁。

途中、挿入されるプレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』の監督名、タイトルが思い出せず、なんだったっけなんだったっけと考えながら、映画を眺めていた。『ミツバチのささやき』、『第七の封印』はすぐに出てきたけれど。
うまそうに酒を飲み、おいしそうにタバコをふかし、うまそうにものを食べるシーンがある映画は掛け値なしにいいのだ。
今週のことである。
月曜日は、横浜に向かい午前中は墓参り、午後病院見舞い、そして渋谷で映画なんぞひっかけて帰ってこようと目論んだものの、朝のゴミ出しの時点で体が沸騰し、動けず、結局午後に出て病院見舞いだけに終わった。
墓参りにいって仏さんになっちゃったら洒落にならないという冗談が冗談でなくなりそうな気配だった。広大な霊園には逃げ場がない、その光景を想像するだけで、もう体が沸点に達しそうであった。これは九月に延ばそう。
昨日も月曜におとらず暑かったのだが、今週で終わってしまうフィリップ・ガレルの『灼熱の肌』を見た。昼ドラのストーリーも撮る人が撮る人だとこうなるわけだ。『愛の残像』ともども主演のルイ・ガレルはほとんどトリュフォー映画のジャン・ピエール・レオだ。
見終わって体力がまだあるのを確認して、モンテ・ヘルマン『断絶』を見ようと決めたのだった。これも今週で終わりだから。バルで軽く白ワインをひっかけ、見たところ、もう大傑作だったわけですよ。
70年代のアメリカ映画についていろいろ考えた。帰宅して少年の頃買ったスクリーン、ロードショーといった映画誌を取り出して眺めた。『断絶』は記憶通り、1972年12月号スクリーン誌の封切り作品グラビアページに紹介されている。しかし、当時はまるで、まったく話題に上がらなかった。日本でなにかしら言及した人は皆無なのではなかろうか。
世間は、アメリカン・ニュー・シネマといえば、『イージー・ライダー』、『俺たちに明日はない』、『明日に向かって撃て』という時代であった。私は当時から現在まで『イージー・ライダー』は若干の留保つきで乗れるものの、『明日はない』、『明日に向かって』はほとんど面白くない。特にジョージ・ロイ・ヒルはこの後『スティング』を撮ってさらに大人気監督になるのだが、私はこれも熱狂する周囲においてけぼりであった。
『明日に向かって撃て』でいいと思ったのは唯一バート・バカラックの音楽で、「雨にぬれても」はあまりに有名だが、私か好んだのは追跡シーンで流れるスキャットだった。パッパラララ、パッラララ、パッパパー、タリラリラリラリリーっていうやつ。
とはいうものの、70年代のアメリカ映画は、かなりの質だ。こういう時代がアメリカ映画にもあったのだと感慨ひとしおだ。
『ファイブ・イージー・ピーセス』のジャック・ニコルソンはよかった。
今でも心に残っているのは、フランク・ペリーの『泳ぐひと』、『ドク・ホリディ』、『去年の夏』といった映画達だ。『泳ぐひと』は実に不思議な傑作で、『ドク・ホリディ』はステイシー・キーチが主演したくらーい西部劇でその暗さがたまらない魅力だった。そういえば、ステイシー・キーチという俳優はリチャード・フライシャーの『センチュリアン』という、これも救いのない警官映画に主演していて、ハンサムでもなく、これといった特徴もない人なのだが、その無個性さが妙にリアルだった。
『去年の夏』は町山智浩氏が『トラウマ映画館』で詳細に記述している。
『ドク・ホリディ』の制作年は『断絶』と同じ1971年だ。恐るべき年だったのかも知れない。こういうことは後年にならないと見えてこないものだ。
モンテ・ヘルマンの『断絶』を見た。
見て良かった。大傑作。こういうことがあるので、見ていない映画があることは恐ろしい。
この映画を前にすれば、ほとんどの、かつてアメリカン・ニュー・シネマと呼ばれていたものは、色褪せる。
深い、とてつもなく深い。何も語っていない故に深い。