没後50年で、テレビ、雑誌などが三島由紀夫特集を組んでるが、どれもこれもつまらん。言われ尽くしたことの繰り返し。つまらん!
2020-12-08 18:28
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これまで、これほど吉祥寺に関わりながら、埴谷雄高のことを失念していた。
吉祥寺と言えば楳図かずおと埴谷雄高だ。
昨夜不意に思い出し、調べると元住居は末広通りの近く、吉祥寺シアターにも近い。
今はなき鰻屋ます田にしばしば通い、ロンロンの前でよく上半身裸になっていたという挿話を目にした。
吉祥寺の変人巨匠である。吉祥寺とはこうした人が住んだ町だったのである。今も楳図氏が徘徊する街である。
『死霊』を久しぶりに読み返してみよう。
2019-07-07 20:46
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早稲田文学の最新号、金井美恵子特集は素晴らしい。大手文芸誌では出来ない技だ。
2018-04-21 23:06
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ひさしぶりに小説について書く。
カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んで、面白いので驚いた。これまで氏の作品は一度も手に取ったことがなく、ご多分にもれず、ノーベル賞のニュースで、さして期待もせずに読み出したのだが、その面白さに途中で止めることができずに一気に読んでしまった。
正統的、本格的な英国小説である。
などとエラソーに書いてみるが、20代30代の頃は英国、ロンドン系統には一切興味がなかった。イギリス映画にのりきれないものを感じ、演劇と言えば、退屈な保守だろうと決めてかかっていた。
気取って紅茶すすってんじゃねえよ。
だから、私にとっては英語圏と言えば、圧倒的にポップにして実験的なニューヨークだったわけだ。
日本生まれの英国作家カズオ・イシグロの小説など、ジェームス・アイボリーのつまらない映画みたいなものだろうと高をくくっていたわけだ。
英国及びロンドンがいいと思い始めたのは50代に入ってからで、去年のロンドン滞在は短期間とはいえ、実に楽しかった。
保守とは、動こう変えようとしない退屈を意味するものではないと理解してきたからだ。
するとティータイムの深さ、パブの楽しさがぐんと近くなった。
今回、『日の名残り』が英国貴族の執事の話というところも、読んでみようと思った動機である。
『ダウントン・アビー』である。読んでいる最中もこのドラマの場面場面がかなりの読書の補助線となった。
また、老人の執事が主人公のこの小説の面白さは中年か初老でなければ理解できないかも知れない、とも言える。
小説でしか味わえない妙味というものに堪能した。
アンソニー・ホプキンスの主演で映画にもなっているが、見る気はしない。どうせ無用にドラマティックに脚色されているのだろう。そういうのは見たくない。そういうのは『ダウントン・アビー』で見られるからけっこうだ。
続けて『わたしを離さないで』を読んだ。これも、舞台化、映像化されたものなど見たくもない。妙味は失せ、お涙頂戴青春モノになってんじゃないかと推測する。カズオ・イシグロの持ち味は抑制の妙味だから、ドラマにするとその味は薄れるか消えるに違いない。
そういうわけでさらに『夜想曲集』を読んだ。
なんとわかりやすい面白さに満ちた短編集だろう。抑えられつつもあふれわたるコメディ・センスにミスター・ビーンを思い起こした。ジェントル・スラプスティックとでも名付けたい。
さて、『忘れられた巨人』にとりかかろう。
2018-02-03 14:13
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エンタクシーの編集長田中さんが、観劇にきて、次号で休刊と聞いて大ショック!
次号掲載は『猫雪』の後篇。
で、もう一章書いて完結の予定だったんだが。
どうしよう。
今年、推薦されて文芸家協会に入会したのだが、毎月送られてくる冊子には、出版不況、文学衰退といった話題が必ずあり、目を通してると元気が出なくなること夥しい。
さあて明日からまた頑張るぞえ。
2015-10-27 21:47
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今週発売されますen-taxiに『猫旅またたび 其の二・猫生』が掲載されます。
よろしくお願いいたします。
2015-04-22 20:14
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久しぶりに小説を書いた。
今発売中のen-taxiに掲載されています。
『猫旅またたび』といいます。
よろしくお願いいたします。
2014-11-28 21:50
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戯曲『ヘルデンプラッツ』のトーマス・ベルンハルトの小説『古典絵画の巨匠たち』は、苦い痛快さに満ちたオモシロ本だ。こういう小説は、日本の風土ではなかなか現れないだろう。
新刊『私のもらった文学賞』を読み始めているが、これもまた苦い。
2014-07-20 12:14
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ロシア、ヨーロッパの小説ばかりを読んでいると、やたらアメリカが恋しくなり、サリンジャー、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んだ。
「ライ麦畑でつかまえて」を中学生の時に読んだ時には、もう、もろに主人公に自分を同化させて痛快さを覚えていた。が、今読むとその印象がまるで違うのに驚いた。
読みだして、まず驚いたのは、ほとんど忘れていたことだった。何日間にわたる冒険小説のように思い込んでいたところ、わずか二日間ほどの、ニューヨーク地獄巡りではないか。
こんな陰惨な小説だと今再読して知った。読んだことがあるモノというのは、気をつけなければならない。50代まで生きた者にとって、10代の読書経験は当てにならないのかもしれない。
2013-08-18 21:13
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タブッキの死をラジオ講座のエッセイ欄で知ったのだが、実は読んではいなかった。須賀敦子のエッセイで知り、自分好みだという直感から『イタリア広場』も買っていたのだが、近年とみに小説を読むことに興味をなくしていて、積ん読であった。
逝去の報を聞いて、『時は老いをいそぎ』を読んだのだが、もう、陶然としてしまった。その陶然の中身はここでは書き切れない。久しぶりに小説を読んで面白いと思った。
2012-06-20 00:16
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