亡くなった。当時三十代の私は氏の拠点セント・マークス・チャーチに通い詰めた。新作『パーマネント・ブレイン・ダメージ』の稽古に立ち会うためである。
ダンスの振り付けのような演出だった。休憩中、ジップロックから生のブロッコリーを取り出して齧っていた。無愛想であった。
本番のステージを四度観て、帰国してフォアマンからいただいた戯曲を訳してもらい、第三エロチカで上演した。
企画前、上演許可の手続きを連絡すると、OKとだけ大きく書かれたファックスが一枚送信されてきた。
昨年末、鴻氏のしのぶ会で巻上公一氏と久しぶりに会い、フォアマンのことを語り合ったばかりであった。
年末にラ・ママで久しぶりに新作戯曲を上演した(演出は本人でなく)というニュースを読んで、感心していた矢先であった。
87歳。幸せな大往生と言えやしないだろうか。
あけましておめでとう御座います。
大晦日は今年も格闘技テレビがなかったので、がっかりでした。
抱負は特にありません。
掃除のし過ぎで、くたびれ、常に眠くて仕方ありません。
今年もよろしくおねがいします。
四日間かけて家のガラス窓拭き掃除をした。
何年ぶりだろうか。
ここ数年、年末は常にドタバタしていてほったらかしだった。
今日やっと最後、台所の窓を拭き、ピンク・フロイドのラストアルバムらしい『永遠』を聴いている。なんとこの年末になって10代の頃に戻ったかのように、ピンク・フロイドを聞き直している。
『ザ・ウォール』後、全く聴いていなかったので、今更『ファイナル・カット』、『鬱』、『対』を追い、『永遠』にたどり着いた。
ガラス窓拭き掃除を終えた年の暮れ
ピンク・フロイドの永遠を聴く
今年逝去した演劇人ふたりを想いつつ
唐十郎
鴻英良
私にとって大切な人だった
昨日はイタリアへの送金等々で新宿の銀行に向かい、桐朋の集中授業を終え、今日は中村さんのワークショップを見学。
これで今年が終わった。
この間ずっと右脚を引きずっていた。先週急に右膝に痛みが走り、近場の整形外科に行って飲み薬と湿布をもらうが、痛みはそのままなので違う医院に今日行くと膝に水が溜まっていて300CC取れた。変形性ひざ関節症。内側の軟骨のクッションが無くなっているということだ。水を抜いてもらって少し楽になった。
加齢という大人の階段を確実に上っているのだ。
昨日は高円寺で鴻英良氏のしのぶ会があった。
20分遅れで会場に着くともう人で溢れてる。
いろいろな人と久しぶりに会った。
野田秀樹氏とは20年ぶりだろうか。
いろいろ話した。実に有意義な会話ができた。
スピーチを頼まれるかと思って内容を考えていたのに、振られなかった。振れよ。
帰宅して午前0時、65歳になったのであった。
忘れられない日になるだろう。
最後の文章は、座高円寺のペーパーの唐十郎追悼文になるのだろうか。鴻氏には珍しく硬質な文体を控え、思い出を楽しげに書いている。
唐十郎氏は元来人たらしのエンタテイナーであるから、誰もが印象的な思い出エピソードを、自分だけの唐さんといったふうに抱えているものだ。思い出話なら誰でも書ける。批評家がそれを垂れ流してどうする、と久しぶりに公的に会うので、文句のひとつでも言おうかと思っていた前夜、風呂から上がると訃報を知らされた。
晩年、酒のドクター・ストップがかかって以後に知り合った人にとってはあくまで温厚で優しい鴻さんであろうが、ほぼ40年前より付き合いのある者にとって、鴻という人は、納得いかない人生といった屈託を絶えず抱えた、時に躁鬱気味、時に分裂気味、時に酒乱気味のめんどくさい人物で、私はけっこうの頻度で頭に来ていた。
それでも基本、権威主義的でなく、人に平等であった。ドストエフスキーの小説に確かヒデナーチャ・オートリという男が書かれていたはずだ。これは嘘だが、鴻はドストエフスキーの世界に生きていた、稀有な現代日本人である。
コロナ禍終わりの時期、新宿のゴールデン街につながる遊歩道でばったり会ったことがある。数年ぶりであり、こちらは帰宅途中でいたのだが、これからゴールデン街に向かうものと決めつけて、一緒に飲みたいところだが、ドクター・ストップにあり、たった今カウンターでウーロン茶を飲んで帰るところなので、となにやら言い訳めいて一方的にしゃべるので、今から西武線で帰るのだというと、では自分も西武線で帰るとついてきた。
その間、今カウンターの隣にいたのは幸徳秋水の親族で云々と語り始めた。
私は歌舞伎町の酒屋でシェリー酒を買うので、そこでお別れかと思ったのだが、そこもついてきた。西武線でコロナ禍と世界について語り合った。
コロナは怖い、どうせ死ぬならコロナによる世界の終わりに立ち会って死にたいと鴻は語った。私が、資本主義の停止に立ち会えてこんなに面白いことはない、と言うとうーんと黙った。ふたりで大声だったと思う。
第三エロチカ時代の海外公演、ドイツ、リトアニア、北米ツアーに付き合った唯一の批評家であった。
ACCグランティとしてニューヨークに行く際、ジョン・ジェスランと会うべきだと紹介してくれたのも鴻だった。
感謝。
らしい死に方といえば、らしい死に方だ。
鴻英良氏が亡くなった。
知らされたのは9日の夜、次の日の10日に氏と誌上での対談が予定されていた。
心筋梗塞と知らされた。
演劇批評において唯一無二の人だった。
明日よりいよいよ『不思議の国のマーヤ』のプレ稽古が始まる。