『路上8』上げて、俳優諸氏に台本が郵送された。
『スマッシング・マシーン』を観る。
この撮り方には独自の文体があって、とても心地よい。『ロッキー』でもなく、『傷だらけの栄光』でもなく、『レイジングブル』でもなく、『カルアフォルニア・ドールズ』でもなく、あえて探せば『レスラー』のテイストに似ているだろうか。ただ使用曲がやたら暑苦しいのでアンバランスだ。
『シンプル・アクシデント』を観た。
面白いねえ、イラン映画。本当にイラン映画、面白い。
人生において、第何次目かのジャズブームを迎えて連日のジャズ漬け。
愛が絵を気に入ってくれたようだ。
さて、ティーファクトリーHPに情報公開されている通り、七月『路上8』、来年一月『AOI』、『六号室』(唐十郎)上演である。
楽しみ!って自分で言ってどうするだが、創るのが本当に楽しみ、なのだ。
四月終わりから三泊四日のひとり旅をして帰ってきた。
旅先でタルコフスキーの『ノスタルジア』を観て感心してしまった。数十年前に観たものだが、その時分は真剣に受容する気がなかったと記憶する。
『サクリファイス』にはえらく揺さぶられたが、当時タルコフスキー人気はけっこうなもので、色々な分野のインテリ達がやたらあちこちで興奮している光景に引いていた。だから『ノスタルジア』を真剣に観る気にはなからなかったらしい。
遅まきながら今回カミナリが落ちた。これは完璧な映画だ。
帰ってからタルコフスキーが著した小説『サクリファイス』とイメージフォーラムのタルコフスキー特集増刊号を本棚から取り出した。
小説の訳者は鴻英良で、鴻からの献本であり、サイン入りである。イメージフォーラムの増刊号に掲載させているタルコフスキーの映画論『刻印された時間』及び多くのエッセイ、インタビュー記事もことごとく鴻訳である。両方とも1987年出版。タルコフスキーの死と『サクリファイス』日本公開に合わせてのものだ。今から思うと鴻英良がノリにノっていた時代と言えはしないだろうか。
まだロシアがソ連で、ベルリンの壁崩壊前だ。
自由のないソ連から離れたタルコフスキーは、しかし、西側の自由も、それは戦争の自由と麻薬の自由でしかないと絶望する。
イタリア、トスカーナの廃墟に母国の空気をデジャブするのが、『ノスタルジア』の主人公の詩人である。酷く酷い政権を憎みつつ、母国の大地にはひたすら愛憎のアンビバレンツに揺れ続ける。
正解のない問いと収束不可能の絶望が廃墟に木霊する。廃墟が美しすぎるのが、今の私達にとって痛ましく、残酷だ。
これはそのまま鴻英良の身体を司ったイメージと実体の狭間に浮遊する素粒子だったのではないか。
そんなことを考えつつ、終日『マタイ受難曲』を流してタルコフスキーと鴻を追悼する。
『カミの森』のキャスト陣、演助と江古田で食事会。元気でよろしい。
松田正隆氏の新作を見た。
場所がSCHOOL なので一時間ぐらいだろうと勝手に決めつけていたところ、100分と知って足がすくんだが、チケットを買ってしまっていたので、勇気を振り絞って下連雀に向かった。
ちなみに私にとって下連雀は大変気のいい土地である。
100分、途中うつらうつらしたものの、面白かった。今ちょうど家でロベール・ブレッソンの映画を見直している最中で、それに影響された言い草だが、映像、構成、リズムを特化させた純粋映画がブレッソンだとして、松田氏のこれは、台詞、構成、リズムによる純粋舞台である。
もっと詳しく論じることも出来るが、ここでは控える。
いつまでも『紙屋悦子の青春』を引き合いにしてこの作家を語ってはならない。