60年代、ラ・ママのエレン・スチュアートはまずスポレートの町を気に入って町中のアパートメントの一室を購入し、さらに町から車で15分ほどの、オリーヴ畑に囲まれた一軒家とその周囲の土地を買い、自分たちで改装及び開墾して、現在のアーチスト・レジデンツを建てたという。
13年前の夏からこのワークショップは開催され、贅沢なことにこのレジデンツは夏の三ヶ月だけ使われ、あとは空き家だという。
ワークショップはセッション1、2に分かれていて、受講者はそれぞれに15名程度。どちらかを受講して終える人もいれば両方受ける人もいる。セッション2の後には戯曲のワークショップが十日間あり、そこでは受講者総入れ替えで劇作家が受講する。講師はなんとチャック・ミーである。
劇作家が受講すると書いたわけは、このワークショップがプロを相手にしたものであり、受講条件は英語ができるということと、二年以上プロの現場にいて、なんらかの実績を上げている者ということだ。
今回のワークショップの講師陣を書いておこう。
セッション1はまずメレディス・モンク。彼女はムービングのワークショップを行ったという。
リズ・ダイアモンド。シェイクスピアの『冬物語』のコーラスの部分をテキストにしていろいろやったというところから推測するとイギリス人だろうか。
リアッティー・トゥエは北京オペラ。
カーマ・ギンカスはロシアから来て『かもめ』のニーナのせりふを中心にいろいろやったらしい。
マイケル・マルマリノスはギリシャからでギリシャ悲劇のコロスの部分をテキストにしたという。
これでセッション1は終わりで、2の最初の週が私とダニエル・バンクのヒップホップということになる。
次の週がロメオ・カステルッチとロシア人のレイ・フォンダコスキーでこのふたりが何をやったかはまだ知らないが、カステルッチは現実の馬を使ったワークショップをやるらしく、そのために五日間、馬が飼われるというのだ。結局ただの乗馬訓練だったりして。
五日間をふたりの講師が来て午前午後交互に四時間やるというプログラム。
明日午前の番だと九時から始まるので、酒は控えて眠り、午後の日だと夕方四時からなので、前日はウイスキーを二杯ほど飲める夜というわけだった。午前九時から午後一時。昼飯とシェスタがあり、午後四時から夜の八時までが夜の部というわけだ。
講師は一日四時間のワークショップ以外はフリーなわけで、この間私は車で40分ほどのアッシジに行ったり、スポレートの町に出て散策したり、主には本を読んでは眠るという日々を送り、大いにバケーション気分を味わったが、いささか退屈もした。
朝食は簡単にパンで済まし、昼食と夕食はここの管理人兼料理人のエリーザさんが日々、イタリアの家庭料理を振舞ってくれ、正真正銘のイタメシを堪能し続けた。
16名の受講者の内訳は男がたった3人とここでも女子多しの演劇学科状態で、国籍はアメリカ、ロシア、韓国、シンガポール。シンガポールの3人などは国費で来ているという。
俳優、演出家、振付家、衣裳デザインなどに関わる人たちであった。
みんな至極まじめであり、酒もほとんど飲まない。一番飲んでいるのは私であり、ウイスキーのコップを片手にふらふらしていると、わー、飲んでる飲んでると囃し立てられた。
スタッフの藤藪さんに聞くと今年はことにまじめな人々が集まっていて、たいてい「さあ、飲むぞ」と騒ぎをリードするやつがひとりはいるのだが、今年はいないという。

部屋の窓からウンブリアの田園と山が広がる。

ここで昼食、夕食を食べる。

釜である。ここでピッツァなどを焼くのである。

正面玄関

私の部屋。ゲストルームの一角。

ベッド。

ベットの上の明かり。

部屋の片隅に立てられた不思議な屏風。

ベッドの傍らに置かれた宝島の宝石箱。たぶん小道具に使用されたものではないか。あるいは古道具か。

窓辺に移動したこの椅子で日々まどろんでいた。

オリーヴの木。

建物の裏手のオリーヴ畑。
エレン・スチュアートさんは毎年ここに来るのだが、今回は体調すぐれず、私の滞在中にはニューヨークで静養ということだった。90歳だという。
エレンとラ・ママのヒストリーを知らない若者が最近多すぎる、エレンの功績をアメリカ人たちは過小評価だ、と憤慨するのがラ・ママのスタッフの言葉であった。「どこもそうだよ」と私は答えた。本当にいまや先進国の文化の貧困な状況はどこも変わらない、日本だけのことではないようだ。悲しいことに。つまり、どこにももはや幻想はないということだ。
次回は私のワークショップの模様をお伝えします。