最後の文章は、座高円寺のペーパーの唐十郎追悼文になるのだろうか。鴻氏には珍しく硬質な文体を控え、思い出を楽しげに書いている。
唐十郎氏は元来人たらしのエンタテイナーであるから、誰もが印象的な思い出エピソードを、自分だけの唐さんといったふうに抱えているものだ。思い出話なら誰でも書ける。批評家がそれを垂れ流してどうする、と久しぶりに公的に会うので、文句のひとつでも言おうかと思っていた前夜、風呂から上がると訃報を知らされた。
晩年、酒のドクター・ストップがかかって以後に知り合った人にとってはあくまで温厚で優しい鴻さんであろうが、ほぼ40年前より付き合いのある者にとって、鴻という人は、納得いかない人生といった屈託を絶えず抱えた、時に躁鬱気味、時に分裂気味、時に酒乱気味のめんどくさい人物で、私はけっこうの頻度で頭に来ていた。
それでも基本、権威主義的でなく、人に平等であった。ドストエフスキーの小説に確かヒデナーチャ・オートリという男が書かれていたはずだ。これは嘘だが、鴻はドストエフスキーの世界に生きていた、稀有な現代日本人である。
コロナ禍終わりの時期、新宿のゴールデン街につながる遊歩道でばったり会ったことがある。数年ぶりであり、こちらは帰宅途中でいたのだが、これからゴールデン街に向かうものと決めつけて、一緒に飲みたいところだが、ドクター・ストップにあり、たった今カウンターでウーロン茶を飲んで帰るところなので、となにやら言い訳めいて一方的にしゃべるので、今から西武線で帰るのだというと、では自分も西武線で帰るとついてきた。
その間、今カウンターの隣にいたのは幸徳秋水の親族で云々と語り始めた。
私は歌舞伎町の酒屋でシェリー酒を買うので、そこでお別れかと思ったのだが、そこもついてきた。西武線でコロナ禍と世界について語り合った。
コロナは怖い、どうせ死ぬならコロナによる世界の終わりに立ち会って死にたいと鴻は語った。私が、資本主義の停止に立ち会えてこんなに面白いことはない、と言うとうーんと黙った。ふたりで大声だったと思う。
第三エロチカ時代の海外公演、ドイツ、リトアニア、北米ツアーに付き合った唯一の批評家であった。
ACCグランティとしてニューヨークに行く際、ジョン・ジェスランと会うべきだと紹介してくれたのも鴻だった。
感謝。
らしい死に方といえば、らしい死に方だ。