
無事ゲネプロ終了いたしました。
2020-10-31 22:06
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さて、今日はゲネプロ、二回。
ニチームあるので二回。
ユリイカの「別役実の世界」は思いの外面白かった。思いの外というのは、追悼特集故に、神様実様万歳みたいなものばかりと思っていたのが、きちんと批評があるのが面白かった。
作品の何何がこのウイルス禍を予見している、とかいうのが、一番つまらない。
批評はやはり意地悪じゃなきゃつまらない。
自分がそうやって書かれると、頭にくるけど。
2020-10-31 10:56
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演劇は死なないけれど、演劇人が死ぬと即座に返信される…
2020-10-29 12:00
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今日は場当たりである。
なんとか無事にここまできた。
秋晴れである。
空を見上げて、なぜか、演劇よ死ぬななどと呟く私は、秋の感傷にやられているのだろうか。
2020-10-29 10:31
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11月23日、吉祥寺シアターでわたくしの新作短編戯曲三本、『2020年3月』、『2020年4月』、『2020年5月』をリーディング上演いたします。
小林勝也、伊東潤、砂原健佑、坂井亜由美という豪華キャスト!
1日のみの公演、ウイルス禍のなか、イライラ、ムシャクシャ、ザワザワ、鬱鬱しているあなた、これ見てワッハッハしようぜ!
そして『路上5 東京自粛』、見逃し配信、再配信が、11月20日から27日まで為されます!
詳しくはティーファクトリーHPをご覧ください。
2020-10-28 22:07
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学生達、頑張っています。
残念ながら学外者は観劇できませんが、公演後Youtube 配信されます。
「おかえり、終わらなかった世界」
というコピーに感心した。
2020-10-28 14:58
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唐組の『さすらいのジェニー』を昼公演で観た。
昼に赤テントを観るのは初めてだが、何ら違和感なかった。ラストの屋台くずしで出現する光景が、まだ明るい下北のコインパーキングで、昼間故にこんなに鮮明にテントの向こうの景色を見るのは初めてのことで、スクリーンの果てを歩いていく藤井由紀といった、なんとも美しい構図で涙腺が刺激された。
『さすらいのジェニー』の初演は思えば1988年、浅草に建てられた、鳴り物入りの下町唐座でだったが、安藤忠雄建築のそれはおよそ劇上演に不適合な代物で、やたら天井が高くて舞台とのバランスが悪く、なんといっても俳優の台詞が聞き取りづらい、なにを話しているのかほとんどわからない。台詞が難解ということではなく、単純に聞こえないのだ。
高額の建築費が予想され、さすらいのゼニとも揶揄された。唐十郎には似合わないというわけだ。
今回、唐組の上演で初めて、こういう芝居だったんだと理解できた。初演がひどいものだったので、戯曲を過小評価していたと判明した。
見事な『さすらいのジェニー』の復讐であった。
2020-10-23 13:59
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いつの時代からか短編戯曲があまり書かれなくなったと思い、60年代の、演劇の文学との決別といった指向からかと考えたり、でも、もうそうした指向からも自由になっていいじゃないか、というか、私達は今や様々な演劇言語を開発、吸収した末に古色蒼然な響きもある短編戯曲に立ち返ってもバチは当たるまい、何しろ短い劇は短くていいではないか、と思い、短編戯曲祭を目論んだわけだが、このウイルス禍のせいで短編戯曲が重宝がられる状況になるとは予想しなかった。
要するに、私が短編戯曲の興隆を画策したのは、ウイルス禍のせいではないと言いたいだけなのだが。
2020-10-21 21:06
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学生のみなさん、リモート授業に乱入してくるのは、この娘、睦です。
お邪魔しました。気をつけます。
2020-10-20 14:57
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座・高円寺で『男たちの中で』を見て、やはり、エドワード・ボンドは只者ではないと再認識させられ、かつて大昔雑誌よりコピーして保管していた『リア』を探し出して読もうとしている。
舞台は二幕の中盤あたりからぐいぐい聞かせる。ただただ一幕は退屈だった。見終わって休憩時に帰らなくてよかったと感じ入った。
しかし長い芝居だ。去年の感想として、しゃべるしゃべると聞いたが、本当にその通りだ。
パンフレットのみなもとごろう氏の文章がまた極めて啓蒙的でためになる。私はボンドほどの勇気はない。
2020-10-20 13:21
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